15トン電車考
その3
2010年1月13日公開
Type of 15ton Locomotive

 しばらくは現在保管中の5号電車を元に、各部各論として舐めまわすように眺めてみましょう。
 15トン電車の車体(台車)は運転室を除くと、サイドおよびフロント・エンドのフレーム(枠)から構成されています。まずは前後を見てみます。フロント(運転室側)・エンドフレームには、当然ながら自動連結器が取り付けられていますが、その台座に半分隠れた2つのバッファー取付跡、および車体幅いっぱいの外側にも2つのバッファー取付跡が残っています。さらに外側のバッファー取付部は、フレームとは別部品であることが、その継ぎ目から知ることが出来ます。結果、車体そのものは4つのフレームと、四隅のバッファー取付ブロックによって箱型になっています。


(1991年3月三池港)港本庫のはずれに留置されていた頃の5号電車。バッファー取付跡が4つ並んでいる(写真は2エンド側)。

 三池鉄道の連結器については未言及でしたので、ここで簡単にまとめておきます。
 明治24年12月開業以来、三池鉄道ではひさしくリンク式連結器を使用してきました。連結器はリンク(連環=鎖)を互いのフックに引っ掛けるのみのプリミティブな方法で、緩衝器としてバッファーが取り付けられました(なお、4トン炭車にはバッファーはなく当て木のみ、8トン炭車よりバッファーが取り付けられたようである)。大正14年の鉄道省が一斉自連化工事を施行した際(九州は7月)、機関車は自連とリンク式を併せ持った併用連結器(左右に首を振らすことで両者に対応)に交換されましたが、社有貨車についてはその後の新製車もリンク式で竣工しています。三池鉄道のようやくの自連化は竣工図表によれば昭和27年と思われ(この年に自連化改造が集中している)、当初は貨車が優先でしたが(機関車の場合、すでに自連対応していたため)、機関車各形式も昭和30年代初頭には取替えを完了しました。
 15トン電車の場合、竣工図表によれば昭和27年認可され昭和31年竣工となっています。

三池鉄道連結器の変遷(概観)
  機関車・貨車共通 機関車
明治24年(開業) リンク・バッファー  
大正5年〜 バッファー位置変更  
大正14年(鉄道省一斉自連改造)   併用連結器・バッファー
昭和27年〜 自動連結器  


(2009年11月宮浦)1エンド側の連結器周辺を見る。


(2009年11月宮浦)2エンド側の連結器周辺を見る。バッファー取付跡がうまい具合に開放テコおよび手すり・ステップの支持に利用されている。


 さて、15トン電車の4つのバッファー孔についてですが、結論を急ぐと、中央寄りが当初のバッファー位置、外寄りがのちの改造によるバッファー位置となります。上表に「バッファー位置変更」とありますが、三池鉄道では当初、1フィート9インチ(533ミリ)という狭い規格を採用していましたが、明治29年に九州鉄道連絡線(のちの旭町線)が開通し、貨車の直通が始まると直に連結できない不便さから通常の4フィート(1220ミリ)に改造されました。この記事は『三池港務所沿革史』に見られますが、この大正5年という改造年はじつは蒸気機関車についてであり、電気機関車についてはとくに言及がみられませんが、同様の改造を受けたことは写真等から確認できます(おそらく15トン電車と、20トン電車のうち1〜4号が該当)。大正5年には本線電化は始まっていたとはいえ、まだ主力は蒸気機関車でした。とくに省線連絡線(のちの旭町線)は昭和11年に至るまで未電化のままでしたので、おそらく蒸気機関車から優先的に改造を受けたのではないかと思われます。

 15トン電車についてはその時期は不明ですが、おそらく運転室改造工事の時期と関連するのではと考えていますが、このことについては次項以降で考察していきたいと思います。



(絵葉書(一部拡大)/うしやん所蔵)四山貯炭場トンネル前の15トン電車。浜側から撮られており、2エンド側を見せている。中央寄りのバッファーが確認できる。


(絵葉書(一部拡大)/うしやん所蔵)セヤ形炭車の連結面。バッファー間は50センチほどしかない。


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15トン電車考その4