釈迦内鉱山専用線 S友セメント専用線
白沢
2020年11月11日公開

 奥羽本線白沢駅の構内に黄色いシャンターが放置?されているのを車窓より目撃、1994年にその確認に出向きました。構内のレールは剥がされた後でしたが、日立15トンだけがぽつねんと取り残されていました。銘板より、日立製作所 1966年製 製番12856でしたが、車体に車号や会社名はありません。前後とも立派なスノープロウを装備しており、雪深い土地柄が偲ばれました。

 このシャンターは釈迦内(しゃかない)鉱山専用線およびS友セメント専用線で用いられた機関車と思われます。入換作業を担当した花輪運輸の私有機で、『機関車表』によれば、”DB-1”という車号があり、日本鉱業(釈迦内鉱業所)に納入名義で、花輪運輸に譲渡されたもののようです。









 シャンターそのものは平凡この上ない機関車でしたが、その周りには怪しげな廃設備がいくつか残っていて興味を引きました。白沢駅の専用線の歴史を辿ってみましょう。

 白沢駅は1899(明治32)年6月の開業。当初より鉱山との繋がりがある駅で、1902(明治35)年6月には小坂鉱山〜白沢間に索道が架設(8.7マイル=14.0キロ)されました。この索道は、小坂鉄道の開通によって1908(明治41)年9月には廃止されますが、白沢駅には索道停車場からの積替えホームが設置されていた様子が、『藤田組小坂鉱山精錬所写真(1903)』に収録されています(*1)
 これより50年後、ふたたび白沢駅が鉱山の駅に返り咲きます。北鹿(ほくろく)地域と呼ばれる秋田北東部に、1960年代になり黒鉱(くろこう*2)の鉱床が相次いで発見され、俗に”黒鉱ブーム”と呼ばれたほど、次々と新しい鉱山が開鑿されました。釈迦内鉱山もそうした黒鉱ブームのさなかに開発された非鉄金属鉱山のひとつで、白沢駅の南西およそ3キロ余りはなれた場所(釈迦内字二の森)にあります。
 
 1962(昭和37)年2月、日本鉱業花輪鉱業所の支山として探鉱、第一鉱体に着鉱
 1963(昭和38)年2月 、起工式
 1965(昭和40)年10月、10000トン/月操業開始
 1966(昭和41)年10月、20000トン/月操業開始
 1968(昭和43)年4月、30000トン/月操業開始
 1971(昭和46)年4月、35000トン/月操業開始
 1973(昭和48)年6月、釈迦内鉱山として発足、30000トン/月(*3)

 釈迦内鉱山の操業に合わせ、白沢駅に日本鉱業専用線が1965(昭和40)年5月に敷設されます(*4)。なお、鉱業所〜白沢間の輸送は道路輸送(国道7号経由)と思われます。

 『専用線一覧 昭和42(1967)年』
 日本鉱業 作業キロ0.4キロ

 側線は白沢駅構内の東側に隣接するような形で敷かれました。鉱石は無蓋車に積込まれて発送、最終的には佐賀関(鉛)や日立(銅)、三日市(亜鉛)の同社製錬所へ送られています。おそらく船川港や秋田港にいったん留め置かれ、船舶によって各製錬所に運ばれていたのではないかと考えられます。

 以下、『専用線一覧』を古い順に辿ってみます。

 『専用線一覧 昭和45(1970)年』
 日本鉱業 作業キロ0.4キロ 総延長キロ1.2キロ
 共同石油 作業キロ0.2キロ 総延長キロ0.1キロ

 共同石油線が追加。残念ながら詳細不明、日本鉱業線に接続したようです。

 『専用線一覧 昭和50(1975)年』
 釈迦内鉱山 作業キロ0.4キロ 総延長キロ1.2キロ
 S友セメント 作業キロ0.2キロ 総延長キロ0.2キロ
 共同石油 作業キロ0.2キロ 総延長0.1キロ(日本鉱業線に接続)

 鉱山の社名変更および、1972(昭和47)年S友セメント白沢包装所(→1975より白沢SS)が設置されました。S友セメント線は陣場駅方向に進んだ場所にあり、包装所には、八戸工場(陸奥湊駅)からのセメントタンク車が到着していたようです(*5)

 『専用線一覧 昭和58(1983)年』
 釈迦内鉱山 作業キロ0.4キロ 総延長キロ1.2キロ
 S友セメント 作業キロ0.2キロ 総延長キロ0.2キロ

 共同石油線は廃止済み。
 残った2つの専用線の廃止日については、正確には不明ですが、1984(昭和59)年1月鉄道公報に、白沢駅の貨物(専用線発着含む)廃止の公示が見られ、59-2改正をもって白沢駅の貨物扱いが廃止されました。また、釈迦内鉱山も1987(昭和62)年3月に閉山しました。およそ20年という短い稼業となったのは、1970年代後半からの大幅な円高により、海外鉱山との価格競争に立ち向かうことができなくなったことが主な理由です。鉱山建屋等はすべて撤去されましたが、コンクリート基礎面が山斜面に残っていることが確認でき、第一立坑と選鉱場の跡と思われます。


グーグルストリートビューより釈迦内鉱山跡


(*1)同書は国会図書館デジタルアーカイブにて閲覧可能。
(*2)黒鉱は閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱などの混合鉱石。製錬により亜鉛、鉛、銅が産出される。なお英語もKUROKO。
(*3)『日本鉱業会誌 1984-10 釈迦内鉱山』を参照
(*4)孫引きになりますが、HP「日本の鉄道貨物輸送と物流」さま「黒鉱」の考察より、『国鉄線1966-1号』の記事による、有効長延長687メートル、収容車数69両。
(*5)「鉄道写真家 岩堀春夫のblog」さま「北海道の旅1975-12その16」より、タキ1900が入線しています。また構内には無蓋車の列も見えます。


国土地理院空中写真サービスより1970(昭和45)年撮影


国土地理院空中写真サービスより1975(昭和50)年撮影

 シャンターの周りの施設を見てみます。わずかにレイルが残っていた施設は秤量所で、鉱石を積み込んだ貨車ごと重量を測る器械です。空中写真では駅構内に無蓋車の姿が確認できます。また、大きな建屋がふたつあり、これは上記の空中写真にも写っています。じつはこの施設、釈迦内鉱山なのか当時は確証がなかったのですが、こちらのブログさま(*1)より、現役時代は”釈迦内鉱業所”の看板が掲げられていました。

(*1)「中華特急のスローライフ」さま、1968(昭和43)年撮影の白沢駅。ホキ800の姿もある。


















白沢駅構内、陣場駅側にあった車庫?空中写真では無蓋車が突っ込んでいますが。

 S友セメントの白沢包装所は、じつは現地確認していなかったので、グーグルストリートビューを見てみると、施設はすべて撤去されています。空中写真にはセメントタキの姿があります。


グーグルストリートビューより、セメント包装所跡

すべて1994年8月撮影


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