◆(2016年11月宮浦)公式面にMITSUBISHI T4-12◆ 2020年4月29日公開

 9号電車は、”国内最古の現役電気機関車”と言われる車両です。おそらく間違いないでしょう。残念ながら、最後の最後で、9号電車は不調になってしまい、しばらく姿を見えせていません。代わりに11号と12号が仕業についていますが、ちなみに11号でも”最古”であることは揺るぎありません。最古論議についてはここでは触れませんが、そもそも9号電車の製造年月は何時なのでしょうか。

 9号電車をはじめとする20トン電車には、いわゆる製造を刻した銘板が見当たりません。初めから無かったのか、あるいは昭和30年代半ばの車幅改造工事の際に外されたのかは不明です。その代わりに、公式側(2-4位)に、製造所と製造年がペイントされており、多くの資料はこの表記を見て製造年としています。ただし、あくまでペイントなので、過去の写真を見比べてみると、表記は一定していないことが分かります。


(2011年11月)この頃の表記はMITSUBISHI T6-8

 この車体表記は、『竣工図表』に準じていると思われ、根拠のない数字というわけではありません。
 下表は、車体表記、竣工図表、メーカーの日本車輛の資料(『日車の車輌史』)、三池港務所沿革史(『三井鉱山50年史稿本』大牟田市史所収)を比較してみました。日車資料では、大正4年10月に6両+大正6年11月に2両と、2度にわけて製造されたとあります。一方、50年史では、複数回に分かれ、3(ないし4)回の増備だったとも読みとれます。9号電車は、大正5年上期の4両製造のうちの1両です。

車体表記 『竣工図表』
より
『日車の車輌史』
より
『50年史稿本』
より
5号 T4-12 大正4年12月 大正4年10月 大正4年下期
6号 大正4年12月 大正4年10月 大正4年下期
7号 表記なし 大正4年12月 大正4年10月 大正5年上期
8号 T4-12 大正4年12月 大正4年10月 大正5年上期
9号 T4-12 大正4年12月 大正4年10月 大正5年上期
10号 大正4年12月 大正4年10月 大正5年上期
11号 T6-8 大正6年8月 大正6年11月 大正7年上期
12号 T6-8 大正6年8月 大正6年11月 大正7年下期
※6号と10号は現車確認できず

 メーカーについては、表記はMITSUBISHI、それ以外は三菱造船(”所”を付けるのは本来誤り)としており、日本車輌の社名は見当たりません。『日車の車輌史』を読むと、同時代の電気機関車の製造については次のような二つの表現が見られます。
@〇〇を経由し納入  A電気品は○○製を使用。
このうち、20トン電車は@にあたり、日車にて機械部分(車体および台車)を製造、三菱造船所神戸にて艤装されたとあります。神戸造船所にあった電機製作所(のちの三菱電機の前身)と思われます。日車熱田工場→三菱神戸工場と移動して完成、三井鉱山三池に納入という流れでしょうか、そもそも機関車の発注先が、日車なのか三菱なのかは不明です。


(2017年11月)5号電車の表記はT-4-12。MITSUBISHIの”I”が抜けてますよ


(2005年2月)11号電車の表記はT6-8。あれれ”MITUBISI”になっている

 以上、9号電車の”製造年月”については、銘が刻された現物か、1次資料(とくに三菱造船)が発見されない限り、あれこれ考えてもあまり進展がないかもしれません。
 ところで、9号電車は、7〜10号(4両)のグループにあたるのですが、このことと関係があるのか無いのか、面白い絵葉書がありますので最後に紹介しましょう。場所は筑豊本線若松駅、かつての若松操車場での一コマです。





 う〜ん、この4両の車輛は何なんでしょう。板切れで覆われていますが、要所々々はどこかで見た面構え。特徴的なボンネットのヘッドライトもばっちり見えます。撮影は、周囲の石炭車の連結器が自連化されていませんので1925(大正14)年7月以前です。若松という地理的には、八幡製鉄所が近いのですが、同所に該当機関車は見当たらず。はたしてジーメンスの4両か(?)、日車三菱の4両か(?)、そもそも、なにゆえ若松に(!)。無論、全くの別物かもしれません。皆さんに考察願いたい。


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