四ツ山駅のあちこち
荒尾駅連絡線
2013年3月15日公開
Arao-line (Yotsuyama〜JNR Arao)

 荒尾連絡線(または国鉄荒尾駅連絡線)は、四ツ山駅(大島信号所)〜鹿児島本線荒尾駅を結んだ連絡線です。途中に貨車中継所となる荒尾連絡所がありました。
 今の荒尾駅は、福岡圏と熊本圏の境界駅として近郊電車が折り返すフツーのローカル駅ですが、かつては荒尾機関支区および貨車区が併設された拠点駅で、構内にはターンテーブルがあったようです。

 荒尾駅は大正1年11月万田駅として開業(昭和18年6月荒尾駅へ改称)しました。三池鉄道とは駅北側で立体交差していますが、久しい間、三池鉄道との連絡輸送はなく、このことから当時はさほど国鉄連絡に重点がなかったことの顕れと思われます。ところが、急遽、昭和18年10月敷設電化されています。時局柄、戦時輸送を目的に急造したようです。具体的には昭和17年に政策として提出された陸送転換方策が関係していると考えられます。これは九州産石炭の輸送ルートを船舶輸送から、昭和17年7月に貫通した関門トンネル経由の鉄道輸送に変更するとしたものでした。
 戦後、昭和23年休止線になり(なお、 『専用線一覧』の昭和26、28、32年版には連絡駅として記載)、ふたたび陽の目を見るのは昭和36年です。この再開では国鉄短絡ルートとして独特な使われ方がされました。『専用線一覧』によれば昭和36年版荒尾駅の記事に「石炭の発送に限る」、昭和50年版大牟田の記事には「三井石炭鉱業運輸事業部三池港務所の石炭積車及貨物については荒尾駅所管、この場合の作業キロは0.6」とあり、石炭発送専用の片道ルートとして再活されたことが分かります。

 三池鉄道からの石炭発送については、施設面では昭和29年に三池港駅の貨車積みホッパーと三川坑、港貯炭場を結ぶベルトコンベアが完成しました。運賃面では昭和39年に石炭発送に対する連絡車扱貨物運賃通算制が実施(昭和45年廃止)されるなど整備されています。また昭和37年の新産業都市指定では、玉名地区に計画された製鉄所への最短ルートして見込まれていたようです。

 昭和18年10年荒尾連絡線敷設電化。
 昭和23年3月休止。
 昭和36年10月再開。
 昭和53年10月再休止。
 
 昭和53年にはホサ列車で触れたように、同年で荒尾〜金田間で運用されていた石炭列車が廃止となり、荒尾駅連絡線は再び休止線となりました。同列車は昭和54年に再開されましたが、大牟田駅中継に変更されています。『専用線一覧』昭和58年版の大牟田記事には「三井鉱山三池港務所の石炭積車及貨物については荒尾駅所管、この場合の作業キロは0.6。荒尾駅所管は使用休止」とあり、書類上は昭和50年版を引継いでいるものの、実用とはなっていなかったことが分かります。

 撮影時点では、四ツ山駅から連絡所跡まではレールが残っていましたが、その先、JR荒尾駅からの部分は撤去されていました。年表のように、廃止届けがいつ出されたのかはっきりしないまま、しばらくして大部分がスーパーの駐車場として整地されてしまいました。

 荒尾駅連絡線の鮮明な写真としては『大牟田・みやま・荒尾・南関の今昔』郷土出版社に四ツ山から俯瞰した昭和52年撮影の写真がある。西原駅近くには荒尾連絡所らしい建物も見えます。




 三池鉄道の架線柱は荒尾連絡所まで。荒尾駅側は非電化であり、荒尾駅からC11、DE10等が石炭車を引き取りに入線していたと思われる。


(1991年3月荒尾)西原駅ホームをかすめる荒尾駅連絡線。四ツ山側のポイントは発条式。


(1991年3月荒尾)途中にあった荒尾連絡所のヤード跡。連絡所は第一種電気継電連動装置を備えていた。ここで国鉄との石炭車中継が行われたようである。写真は、奥が四ツ山駅、右手の高圧線鉄塔の下に三池本線。

(1991年3月荒尾)荒尾駅近くの連絡線跡。レールが撤去されただけで、枕木と犬釘が点々と続いていたが、ここもしばくして整地された。


(1991年3月荒尾)荒尾駅からカーブする分岐点は資材廃材で埋もれていた。前方が荒尾駅構内。


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