四ツ山駅のあちこち
三作四ツ山分工場
その1
2008年3月17日公開

  三池製作所四ツ山分工場(以下、分工場)は、かつて三池港の南開地にあった製作工場で、現在、三池火力発電所の構内と一致しています。残念ながら、分工場の遺構といえるものは微塵もみつかりませんが、数少ない資料からその姿を追い求めてみたいと思います。

 分工場は三池築港の際の修繕工場を、明治42年5月製作所分工場(*1)としたことにより誕生しています。「社有運炭船の新造および修繕、並びに機関車、車輌の修繕に従事す(*2)」とあることから、三池港という地の利を生かして、もっぱら三池港務所の製造修理に向けられていたようです。ひとつは船舶の製造修理を目的とし(*3)、内港側には造船所が設けられました。もうひとつは炭車の集まる港駅に近いことから、車輌工場や鍛冶工場が設けられ、四ツ山駅より分岐する線路が引き込まれていました。

 ウェッブサイト『国土変遷アーカイブ空中写真閲覧(http://archive.gsi.go.jp/airphoto/)』を参照すると、昭和42年撮影までは分工場の建物群が確認できるが、昭和47年では発電所施設に取って代わっています(*4)。年表を参考にすると、三井アルミニウムの操業や、それに伴う発電所建設(のちに三池火力発電となる)等の動きから、昭和43〜45年ごろに廃止されたと思われます(なお昭和47年には三作三池港工場が竣工)。

(*1)大正7年三池炭鉱付属製作所より分離して三池製作所となった。さらに昭和37年三井三池製作所として独立。
(*2)『本邦重要鉱山要覧』農商務省鉱山局編纂 大正7年より。
(*3)大正11年『三池製作所案内』より「明治42年には三池港に分工場を設け、船舶用諸機械の製作修理の外、木造船の新造をも開始」。
(*4)同サイトでは昭和22年、昭和37年、昭和41年、昭和42年、昭和47年撮影が閲覧できます。


 四ツ山分工場の位置関係を示します。なお、背景原図はウォッちず地図閲覧サービス(http://watchizu.gsi.go.jp/)1/25000地形図を利用しました。


(うしやん所蔵☆大正11年『三池製作所案内』より四ツ山分工場平面図。)


(うしやん所蔵☆昭和8年『三池港案内』より一部)


昭和40年『三池港の現状と将来』より一部。分工場としては最終的な姿と思われます。


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三作四ツ山分工場その2