三池港駅のあちこち
M井塩業三池工場線
2018年6月13日公開
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Miike minato

 M井化学三川工場線に続き、三池港駅の専用線をもうひとつ取り上げましょう。

 M井塩業専用線は、『専用線一覧 昭和42年版』によれば、三池港駅の欄にM井塩業 作業キロ 1.5キロとある専用線です。三池地図Aによれば、港操車場から分岐、しばらくは北岸壁線と共用の線路を通り、さらに分岐して終点の三池工場に至っています。路線長はあるものの、終点に機廻し線があるだけで、配線としては至ってシンプルな引込線です。下の写真は1966(昭和41)年の空中写真から。解像度の限界から、レイルははっきりとは見えませんが、大きくカーブする線形がよく分かります。また、終点付近には貨車の姿も見えます。長方形の建物は製品倉庫、さらにその先の背の高い建物は煎熬(せんごう)工場と思われ、煙突から煙が上がっています。

 線路の話から逸れますが、煎熬とは鹹水(かんすい〜塩分濃度が高い塩水)を蒸発缶によって煮詰める行程です。工場周辺の広大な敷地を占めるのは塩田ですが、いくつもある簾のような長方形の設備は枝条架(しじょうか)と呼ばれ、当時の製塩方法の主流となっていた流化式塩田の、鹹水をつくるための1設備です。なお、製塩方法の歴史については、こちらのHP(たばこと塩の博物館)を参照しました。





 M井塩業三池工場は、『男たちの世紀 三井鉱山の百年』によれば、1956(昭和31)年6月工場竣工、1971(昭和46)年9月工場閉鎖と、わずか15年の稼業でした。また企業としても同年中に解散しており、引継ぎ会社もありませんでした。
 この間の推移を同書から拾い読みすると、戦後の食塩不足から、国策として製塩事業への参入を推進しましたが、炭鉱側からは石炭(とくに低品位炭)の有効活用が見込まれることから、数社が手を挙げています。M井塩業もそうした新規組の一つで、製塩が国策事業(専売公社)として安定した収入が見込まれていたのも理由のひとつでした。
 しかし、まもなく海外塩の輸入増加や、国内生産量の増加によって供給過剰の時代を迎えたことから、政府は、製塩事業の整理を兼ねる意味も含めて、製塩方法を新技術(イオン交換膜法)に一本化し、同時に旧来の塩田式を廃止することが措置法として決定されます(昭和46年4月施行)。結果、在来の事業所は絞り込まれることになり、M井塩業はこの選定に漏れ、廃業を余儀なくされています(解散の際は補償金を受けることで解決)。

 石炭と製塩とのつながりは、まるで江戸〜明治時代の炭鉱勃興期の話のようですが、戦後の一時期とはいえ、この関係が復活したことは興味深いです。工場閉鎖後、新旧の空中写真を見比べてみると、現在もM井三池製作所九州事業所の構内に、旧製品倉庫の建屋が2棟残っているように見えます(わたしは現地未確認ですが)。また、専用線の途中のカーブ部分が、現在も、如何にも線路跡というカーブした境界となって残っています。




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