浜駅のあちこち
三池製煉所
銀水線跡
その1
2007年8月25日公開
Miikehama-station

 三池製煉所*1銀水線(以下、銀水線)は、浜操車場より分岐し、一路北上、銀水工場(のちの三池製錬化成品工場)、へいたる側線で、『専用線一覧表 昭和42年版』によれば、「三井金属銀水工場 作業キロ 2.5キロ」として記載されています。

 *文献1〜3を参考にすると、もともとは東洋アルミニウム(昭和13年設立、昭和16年東洋軽金属に改称。三池工場は昭和14年下期に用地買収し建設着工、昭和18年アルミナの製造を開始し、昭和19年5月三井軽金属に改称)の側線として昭和17〜18年頃に敷設、航空機のための軍需工場でしたが、その操業期間は短く、終戦と同時に操業を停止し(のちに解散。現在地は三井金属鉱業三池レアメタル工場))、一方、三池製煉所が三井軽金属跡地の南面に昭和26年に銀水工場の建設を着工し、昭和29年1月亜鉛製錬の操業開始によって側線が再復活(おそらく路線短縮のうえ)したという経緯があるようです。

 同工場構内図(*文献2)によれば、工場西面にヤードが設けられ、浜駅から運び込まれる石炭・コークスのためのホッパー、製品積み込みのための倉庫などが確認できます。

 廃線時期の正確な日付は不明(*文献1によれば、昭和38年頃あるいは翌年にはトラック輸送に切り替えたという。ただし*文献2にはとくに記事なし)、線路等も完全に撤去されいましたが、線路敷は部分的に辿ることができます。もっとも大きな遺構は堂面川に架かる橋梁で、パイプラインの桁として再利用されていました。5桁のうち2桁が撤去されていましたが、これは漁船通過の便を図ったものと思われます(なお、ネット上で検索したところ、現状は両岸1桁を残して撤去されています)。

*1)社名は三井鉱山三池製煉所、神岡鉱業、三井金属鉱業、三池製錬と変遷。
*文献1)
「三井三池炭鉱の産業考古学 三池専用鉄道」辻直孝『産業考古学会報 101号 2001年』
*文献2)『五十年の歩み』三井金属鉱業三池製煉所 昭和39年
*文献3)『男たちの世紀 三井鉱山の百年』三井鉱山 平成2年
*文献4)「三井の三池製錬所における亜鉛製錬 團琢磨男爵と大牟田」辻直孝『産業考古学会報 79号 1996年』

つづく


 三池浜駅と銀水線および各工場との位置関係を示しました。なお、三池製煉所銀水工場と三井軽金属三池工場は同時には存在していません。背景原図はウォッ地図(http://watchizu.gsi.go.jp/)を利用しました。


(空中写真/うしやん@管理人所蔵)太平洋戦争中、米軍により撮影された三井軽金属三池工場。右下が北。上端に堂面川橋梁。ほぼ直線の銀水線や、引込線が見えます。


(空中写真)昭和49年撮影の空中写真より、堂面川以北。銀水工場内に見える縦長の建物が製煉所の中枢たる竪型蒸留炉(第一・第二工場)。構内西面に専用線ヤードと石炭ホッパー。この時点ではすでに銀水線の線路は撤去されていたと見えます。


文献2より、昭和39年ごろの三池製煉所銀水工場構内図。ヤードよりコークス受入用のホッパーとベルトコンベアが伸びる。


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銀水線その2