◆(1991年3月)玉名線分岐点◆ 2020年7月22日公開

 玉名線(原万田〜平井4.1キロ)間の経緯については、宮内駅のなかで触れています。全通は1944(昭和19)年3月(免許 1941(昭和16)年9月)としますが、すでに1942(昭和17)年の地形図に宮内付近までの線路が描かれています。おそらく玉名工場建設のために先行して敷設されたのではないかと思われます。

 玉名線のうち、原万田〜大平間は築堤と橋梁で荒尾市万田地区を抜けていく区間で、線路跡の遺構が多く残っていましたが、2000年代に築堤と橋梁の撤去が進みました。とくに築堤跡は多くが宅地転用されて線路跡を想像することすら困難になっています。おそらく知らず知らずのうちに線路跡に住んでいる方も多いでしょうね。
 わたしが玉名線の廃線跡を辿ったのは1991〜92年です。廃止7年後の姿ということになりますが、築堤上の線路跡を歩けるような状態ではなく、橋梁を目指して遠回りしながらの要所ごとの確認となりました。なお、すで全線のレイル、架線柱の撤去は完了していました。その後、物件の多くは消滅しましたが、グーグルのストリートビューを活用して、新旧の廃線ウォーキングを楽しんでみました。


1974(昭和49)空中写真より(原万田〜宮内)。bヘ橋梁。原万田〜大平間に踏切はなかったのも特徴。

原万田架道橋


(2004年2月)玉名線最初の橋梁(国道208号線)だが、線路は三池本線と共用区間。実際の分岐点は橋を渡ったさきにあった(右手側)。三池本線が世界遺産であることから保存対象だが、橋梁自体は国道に合わせて架け替えられたものだろう。

1架道橋


(1992年8月)原万田からの2番目の橋梁。右手が大平。自転車店は現存、橋桁の向こうに荒尾万田郵便局。




(1996年2月)荒尾万田郵便局側から見た1橋梁。左手が大平方面。




(2007年5月)大平側の橋台だけが残っていたが、現存せず。

2架道橋


(1992年8月)原万田から3番目の橋梁。左側の民家は現存。右側は新築の住宅に。


(2007年5月)見事なまでに蔦が絡んでいた。現存せず。



3架道橋


(1992年8月)原万田から4番目の橋梁。右手、ブロック塀の民家が現存。いまは築堤が無くなって空が広くなった。


(2007年5月)蔦の繁茂がすごいが、辛うじて橋台が見えた。



 3橋梁から4橋梁にかけての約400メートルは、全線を築堤で抜けていましたが、その後、玉名線時代にはなかった県道29号線(荒尾南関線)が交差するように開通しています。かつては万田の地名にふさわしく、田圃が広がっていたようです。

4架道橋


(1992年8月)原万田から5番目の橋梁。現在は左側の築堤が無いが、右側の橋台が現存。




(1992年8月)4橋梁上から原万田方向を望む。遠くに見える高圧線鉄塔下に三池本線。現在は築堤がなくなり、景観が様変わりした。




(1991年3月)築堤を登って大平駅方向に向かう。足元に枕木が残っていた。


(1992年8月)切通しを抜けると大平駅。ホームがそのまま通り道になっていた。

5架道橋


(1992年8月)再掲:大平駅そばの5橋梁は玉名線最後の橋になる。橋台は現存するが、橋桁は撤去されている。




(1992年8月)切通しを抜けると宮内駅。土盛り部分が線路跡で、現在では車線化されている。





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