列車のあれこれ

その1
2002年10月25日公開
2012年7月15日再公開
Coal train for Kanada

 三池鉄道と 石炭列車、あまりにも至極当然な組合せのように思われましょうが、最早、いつでもどこでも見られるという光景ではなく、わずかに残ったダイヤを追っての一日がかりの撮影行となりました。石炭列車には、炭車を用いた線内列車と、石炭車を用いたJR中継列車の二通りがありましたが、いずれも三池港駅を起点に運転されていました。三池鉱からの三池炭、それに北岸壁から陸揚げされたオーストラリア炭等を混炭していたのは案外知られていなかったかもしれません。

 金田向け石炭列車は福岡県田川市の三井鉱山田川セメント工場向けの燃料炭輸送です。JRに中継される唯一の石炭列車でしたが、同時に九州唯一でもありました(*1)
 三井鉱山所有のホサ8100形からなる編成は三池港駅を出発すると、JR九州を大牟田駅から直方駅まで、そこから平成筑豊鉄道(もと国鉄伊田線)の金田駅まで、さらに三井鉱山専用鉄道(通称、金見鉄道)でセメント工場(通称、見立駅)までと継走され、この間、機関車は三池(45トン電車)−JR・平成筑豊(DE10−ED76−DD51)−金見(私有ヂーゼル機関車)とめまぐるしく交代しました。

 見立駅は後藤寺線船尾駅と丘ひとつ隔てたところにあり、船尾駅を降りるとホームから駅舎までうっすら石灰が積もって、あたりすべて石灰鉱山です。見立駅の背後にも関の山鉱山があり、その麓にセメント工場と操車場が広がっていました。手近の高台にあがると、セメント貨車の入換に忙しいオレンジ色の私有機DE10や日立製のヂーゼル機関車が望まれました。
 

 
年表によれば昭和54年5月に金田向け石炭専用列車が復活とあります。復活とあるのは昭和52年に一旦休止となった経緯からですが詳しくは分かりません。社史(『男たちの世紀』)によれば、セメント工場の石炭専焼キルンが昭和54年4月完成とあり、これに合わせて石炭輸送が復活しました。
 運転開始の当初は、国鉄のセラ1やセキ6000石炭車が用いられたようで、セラ1はすでに廃形式(昭和61年)でしたが、九州内に取り残された大牟田駅常備車が見られました。セキ6000は偶然撮影していますが、側面には大牟田駅常備、大牟田−金田間専用と書かれていました。

 昭和58年、それまで三井鉱山船尾鉱山からの石灰石輸送に就いていたホキ8100(三井鉱山所有、船尾駅常備)を、20トン石炭積み専用ホサ8100(大牟田駅常備)に種別変更し、大牟田−金田間の石炭輸送に充てることにしました。また、セキ6000はセキ8000に世代交代し、ホサ8100形の33両とセキ8000形の8両(平成2年資料)
が金田向け石炭列車に投入されたことになります。

1)参考資料:長倉到「貨物列車はいま1 九州最後の石炭列車」『鉄道ファン2721983

(つづく)

(1989年8月大牟田)大牟田駅にてセキ6222号。屋久島登山の帰り道に偶然キャッチ。もっともセキにはあまり関心がなく、どれくらいの編成だったか記憶がありません。「九」州支社、大牟田駅常備、大牟田−金田間専用とあり、後輩のセキ8000がのっぺらぼうなのとは大違い。


(1991年3月大牟田)セキ8058号。支社名が書かれていないのが、美祢線向けとの違い。この日はワム+セキ+タキの3両編成で大牟田駅に留置されていました。


(1990年3月三池港)ホサ8123号。昭和58年にホキ8100形の専用種別変更(石灰石→石炭)によって生まれた石炭車。


(うしやん所蔵)直方駅発行の石炭列車復活記念入場券(昭和55年10月)。貨物主題の切符というのは珍しいかもしれませんが、絵柄はキューロクの牽く石炭列車(昭和40年撮影)という的外れなもので、当時の記念切符ブームに便乗した代物でした。
 裏面の解説によれば、昭和53年10月に荒尾〜金田間2往復が廃止、今回、石油高騰の影響でセメントクリンカ製造の回転窯燃料用の石炭輸送として大牟田〜金田間セキ列車1往復の復活とあります。


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ホサ列車追跡その2