旭町駅のあちこち
京町ヤード
2008年9月21日公開
kyoumachi-yard

 旭町線の途上、旭町1号踏切(国道208号)から旭町駅の駅舎前にかけて、本線+側線4線の小さなヤードがありました。廃止時期は不明ですが、撤去忘れのポイントやレイルに気づかれた方もいるでしょう。残念ながら、文献上に記事は見当たりませんでしたが、かつてヤードを越えていた踏切に京町踏切という名前がついていること(現存)、このあたりの旧町名が京町(*1)(現在は旭町)であることから、本稿では「京町ヤード」と呼ぶことにします。
 旭町駅にお邪魔した際、本屋にはポイントレバーの他に京町ヤードの継電器盤が残っていて、下の配線図はそれをメモしたものです。本線を中心にして簡略化しましたが、実際には全体としてカーブしており、本線が一番アウトカーブになります。当時うかがった話では、仮屋川操車場の補助的に用いられ、留置できない貨車を一時的にためたり、電車を待機させたりといったことに使われたと聞きました。この後、すぐに入換時間になってしまい、正式名称や廃止年を聞けなかったのは残念。

 京町ヤードについてはこれ以上のネタはなかったのですが、資料を見返しているうちに、いくつか疑問点(なかば想像)も出てきました。以下、まとめてみると、ひとつは本来は国鉄との連絡ヤードではなかったのかという点。順序的には仮屋川以前の連絡ヤードということになります。この根拠は、大正・戦前の頃の地図・地形図には仮屋川操車場が描かれていないという消極的な理由ですが(無論、描かれていないから存在しないという根拠にはなりませんが)、旭町駅があのような中途な位置にあるのも合わせて可能性はないでしょうか。
 また、ヤードに隣接する施設として三池共愛購買組合(現在、大牟田ガーデンホテルがある場所)がありました。購買組合は三井関係者向けの、今で言う生協のような日用品を商う施設(*2)でした。国鉄大牟田駅経由でやってきた貨車が京町ヤードで荷を卸す、こんな光景も実際にありそうな気がします。

(1)京町という町名は大正8年の町名改正によって生まれ、昭和51年の町名改正で消滅。大正8年以前は五反田、日焼と称した。
(2)その前は売勘場(炭鉱直営の売店)、その後は三池商事(昭和36年設立)旭町販売所となったようです。




昭和49年撮影の空中写真より。旭町1号踏切から旭町駅にかけてが京町ヤード。ぽつんと1両の貨車が留置中だが、それと比べてもヤードの有効長は短いことがわかる。
 京町ヤードと鹿児島本線の間のデルタ地に三池商事があったが、撮影の5年後に8階建てのホテルが開業。ヤード傍の赤い建物は三池ファミリーレーンで、名前を変えて現存。ヤード撤去後の跡地は駐車場化された。


大正6年発行大牟田市街新地図(駿々堂旅行案内部)より抜粋。だいぶ簡略化された地図だが、京町ヤードがはっきり確認できる。ヤードの先の川は長溝川(現在の長溝川踏切)で、川を渡った先から仮屋川操車場が分岐していたはずだが、描かれていない。あるいは操車場は未形成だったのだろうか。鹿児島本線が複線表記されているのにも注目。九州鉄道時代に敷設された大牟田連絡線であるが、やはり長溝川手前で途切れている。


(1992年8月旭町)旭町1号踏切から見た旭町腺。本線上に2つのポイントが残っていた。


(1992年7月旭町)旭町駅舎よりみた旭町線。わかり難いが20号電車の後方に2つのポイントが確認できる。






(3枚とも2003年1月旭町)京町踏切には撤去忘れの4本の側線が残っていた。側線も含めると、じつに9線を渡っていたことになる。


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