資料のあれこれ
万田坑と列車
2010年5月16日公開
Manda coal mine

 まずは下の古絵葉書を見て頂きたい。数多い万田坑の定番構図といえる全景写真のひとつで、ちょうど万田駅に下り列車が到着したシーンです。列車は停車間際なのでしょうか、機関助士らしい人物が身を乗り出しています。まずはサドルタンクの蒸気機関車が牽く列車が、その編成が石炭車以外からなるというのは三池の写真としては珍しいと思われます。編成を順に辿ると、機関車の次位は4トン炭車のようですが、そのあとには平台車、函台車(無蓋車)が凸凹と続いています。
 気になるのはちょうど電柱で遮られた辺りからの、後尾4〜5輌の貨車です。車輌の側面は判別できませんが、なにやら俵(?)のようなの白っぽい積荷が貨車の倍の高さに達するほどこんもり積み上げられているのが見て取れます。


(絵葉書/熊本西通町濱田印刷発行/うしやん所蔵)手前を走る本線が複線・非電化の頃であり、明治41〜45年の撮影と推測される。季節は機関車から立ち上がる蒸気が白いので冬場だろうか。


列車部分をアップ。電柱で遮られた編成後尾の貨車の積荷が気になります。

 さて、この「俵のような」積荷は何なのか、現在のような梱包材(ダンボールやビニルシート)のない当時にあっては、梱包にはコモやムシロで包み込むか、あるいはカマスに袋詰めするのは一般的であり、荷姿だけから中身が何であるか特定するのは困難と思われます。ただし、列車の進行方向から万田あるいは三池港にむけて運ばれる場面であり、おそらく三池炭鉱の産品であり、しかもそれなりに大量製造された物資ということは言えると思われます。

 この積荷の、可能性のひとつとして筆者が思いついたのがコークスです。
 三池炭鉱におけるコークス製造の歴史は古く、洋式技術を導入した製造は明治25年まで遡ります(当初は横須浜にて、のちに宮浦に移った)。下記の絵葉書は、現在の三井化学工場内にあったコークス炉(第一骸炭工場)の様子です。コークス炉本体は黒い櫛形の施設で、炉から押し出されたコークスから放水による水蒸気が上がっています(この部分は高床のホームとなっていた)。ちなみに背景のコンクリートの建物は瓦斯発電所ですね(コークス炉から発生するガスを利用した)。
 この写真では見えないのですが、ホームに面して線路が敷かれており、俵詰めにされたコークスが無蓋車に山盛りに積み込まれている様が写されています。万田坑の列車の写真と荷姿がよく似ています。
 この「コークス俵」ですが、具体的にどのようなものであったか『三池港荷役概論』という本(*1)にイラストで解説されていましたので、あわせて紹介しておきます。石炭、焦煤(コークス)の俵は、職員従業員むけ(売店経由)では石炭1俵40キロ、コークス38キロ、汽帆船および貨車積み向けでは1俵50キロと記されています。製俵の方法は三種類ありますが、職員従業員むけは当然ながらもっとも簡易なホドメナシの俵でした。


(絵葉書/山田発行/うしやん所蔵)人物の立っている場所がコークス炉の高床ホームである。

上記絵葉書をアップ。無蓋車に俵詰めされたコークスが山積みされている。
右表『三池港荷役概論』より製俵方法。三種類あるが、ホドメナシが最も簡易な製俵。
 絵葉書について一言加えておくと、一枚目(万田)と二枚目(骸炭工場)では、その年代はすこしずれています。とくに二枚目は、当時最新のコークス炉(コッパース式)という型式であり、年表によれば大正6年に完成しています(絵葉書ではまだ一部が建設中の模様)。このことから一枚目の列車で運ばれたコークスは、一つ前の型式のコッペー式ではなかったかと思われます。コークスについては、また別の機会で触れたいと思います。

(*1)吉村明著 昭和12年出版? 


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