資料のあれこれ
万田坑と列車
その2
2010年10月10日公開
Manda coal mine

 またまた万田坑の定番構図の絵葉書から万田駅構内の列車を見てみましょう。この「三池名勝 VIEWS OF MIIKE」の一連は、鮮明な印刷でわたしのお気に入りのシリーズです。
 万田駅構内は目一杯線路が敷き詰められており、炭車が多数たむろする盛時の万田坑です。車輌をみると、手前に8トン積みのセヤ形炭車が一編成(さらによく見ると、セヤ形も2タイプの混成になっています)、すでにバファー位置が拡幅されていますので、大正5年以降の撮影ということが分かります。そういえば、4トン炭車の姿が見えません。その代わりに7トン炭車(台枠が鋼製、炭箱は木造)が2両だけ確認できます。炭車の世代交代からすると、4トン、7トン炭車が減少、8トン炭車が主力となった昭和初期の光景でしょうか。また、絵葉書書面からの年代推定(*1)を当てはめると、昭和8年以降(昭和19年まで)の発行と分かりますので、一応は昭和初期の撮影だろうと推測されます。
 さて、ここでの本題は奥にみえるもう一編成です。
 先頭の電車は正面のナンバープレートから5号電車であることが分かります。ご存知の通り、現在、5号電車は大牟田市に保管されていますが、絵葉書は運転室拡幅前の原型の姿で、前照灯もボンネット正面に付いています。史料価値の高い写真ですが、5号電車については別項に譲りますので、ここでは軽くスルーしておきます。
 次位の小型貨車に注目しましょう。あまりに貨車が小さすぎて、あたかも5号電車が薪(まき)を背負っているように見えますが、積み荷はおそらく炭鉱の不可欠の「坑木」と思われます。坑木は尺単位ですので、おそらく長さ一間(約1.8メートル)でしょうか、積み上げ方が線路方向ではなく枕木方向なのが目を惹きます。そのため荷受柱は妻側から立ちあがり、さらに荷崩れ防止のためロープが掛けられています。
 貨車そのものは平台車(アオリ戸を持たない無側車)ですが、大きさから判断するに4トン積み平台車「ハ形」の可能性が高いと思われます。ハ形は明治29年〜大正2年にかけて三作にて96両製造された車輌です。写真のような坑木輸送のほか、建設用として汎用されました。その増備も新線や炭鉱開鑿、築港の時期と重なっています。なお、4トンという荷重は鉄道黎明期の炭車、無蓋車、有蓋車まで統一された基本単位でした。
 この平台車の次は1両7トン炭車が挟まれていますが、かなり草臥れた様子です。7トン炭車は三池入線時点ですでに中古車でしたが、事実、昭和10年に引退します。その後ろからは8トン炭車が連なっています。炭車はいずれも石炭を満載しており、5号電車が側線にて入換中の光景のようです。

(*1)HP絵葉書資料館 絵葉書の歴史のページを参照しました(http://www.ehagaki.org/index.html


(絵葉書三池名勝/うしやん所蔵)


列車部分をアップ。手前の炭車はセヤ形。牽引電車は現在も保管中の5号電車で、原型スタイル。


絵葉書書面。大牟田駅のスタンプが押されています。8.12.9は昭和8年12月9日と推測。


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