万田駅のあちこち
萬田の定点観察
萬田坑絵葉書より
2003年11月10日公開
0ld postcard collection of Manda coal mine & Manda station

 万田が萬田と綴られていた頃の、古い絵葉書から万田駅と万田坑の変遷を追って見ましょう。
 日本の絵葉書の歴史は明治33年から始まるそうですが、折りしも三池の地では万田坑の開鑿や、間もなく始まる三池港築港などの大イベントが続き、その模様を写した絵葉書が逐次発行されています。なかでも万田坑はメジャーな被写体で、しかも定番アングルといえる決まった構図があるので、数葉集まると定点観察的な変化に気づかされます。
 一番手前に三池鉄道本線、そして万田駅構内、主役たる万田坑は堂々たる第一立坑、中央やや左に現存する第二立坑のヤグラがのぞき、左手に選炭場および貨車積みホッパー、背景には汽缶場の煙突が林立するという光景が、多くの絵葉書で刷られています。
 この構図、実を言えば万田坑にとっては裏側にあたるのですが、もっとも賑わいある光景に違いなく、三池名勝として物見遊山に出掛けた人も多かったのではないでしょうか。
 あまりにも似た絵葉書が多いので、現地でこのポイントが何処なのかと探しましたが、今ではこんなに開けた光景が望める地点はなく、無駄足に終わりました。いずれ機会あれば、もう少し精緻に検証したいところです。足場が小高いのが最大の手掛かりでしょうか。


(絵葉書‐1/大牟田町上野書店発行/うしやん所蔵)
 万田坑絵葉書としては、もっとも初期と思われる一葉。開発まもない、まだガランとした雰囲気。万田第一坑が開鉱し、第二坑はおそらく開鑿中だが、ホッパーに集う炭車の姿から出炭は始まったようである。
 三池鉄道は、一番手前に単線・非電化の本線、まだ側線のまばらな万田駅構内。積まれた枕木からは近い工事が予想されます。構内中央のこじんまりとした建物は初代の万田駅舎でしょうか。
 絵葉書の右手が、のちの三池港方面。この時点で本線がどこまで延びていたか不明ですが、明治35年末から始まる三池港築港工事には勝立からの土砂が運ばれたとあり、工事列車がすでに行き来していたかも知れません


(絵葉書‐2/発行者不明/うしやん所蔵)
 第二立坑の開鉱によって万田坑が完成し、一方、三池鉄道本線が複線化されています。三池港開港による輸送力強化ですが、年表上、複線・非電化の時代は明治41年から45年までの間でしかなく、その意味で貴重な光景。 増築?された万田駅舎の前には4トン炭車と給炭台、ホッパーの前には水タンクと蒸気機関車の姿が見えます。


(絵葉書‐3/山田屋本店撮影/うしやん所蔵)
 電化された万田駅構内の向こうに万田坑が構える、万田坑絵葉書としてはもっともポピュラーな光景。選炭場が改築されています。1葉目に比べ、煙突も増えました。万田駅構内は目一杯に側線が増やされ、そのために駅舎が撤去されていますが、移転したのでしょうか。名勝絵葉書にふさわしい、万田坑盛時の光景。明治末から大正時代の撮影と推測されます。


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萬田の定点観察その2