炭鉄の風景あちこち
宮原駅
白川分岐
2014年6月23日公開
MIYANOHARA COAL MINE

 白川分岐という名称は、筒井原分岐と同様、史料に現れた名称ではなく、わたしが免許区間の一覧から命名したものであり、白川とは宮原坑が位置する旧地名である。
 三池本線・勝立線・逆様川線の複雑な経緯については既出だが(逆様川線)、白川分岐は、三池本線から宮原操車場への分岐点であり、操車場の一番奥まったところには宮原第一坑と併設された選炭場があり、石炭の積込みが行なわれた。また、操車場からは汽缶場や作業所に至る引込線が枝分かれしていた。分岐点としては昭和30年代の初頭まで、宮浦坑跡地が転用された宮原貯木場の引込線分岐(万田駅所管)として存在したと思われる。

 宮原駅は本線途中分岐という配線となったことに特徴がある。いささか使いにくかったことは確かで、港駅との列車は七浦駅で折り返すという手間が掛かった。このため、昭和6年宮原坑が閉坑によって宮原駅が廃止されると、その翌年には宮原信号所の閉塞も廃止されている。
















(2009年11月宮原)宮原第二坑一般公開の際のパネルから、明治41年の宮原坑の構内。

 昭和49年空中写真より各種施設。第二坑を除いた各施設はすでに存在しないが、かつての宮原坑敷地はよく残されている。


(1992年7月宮原)旭町へと向かうホサ列車。ちょうど45トン電車のあたりから宮原操車場への分岐点(白川分岐)があったと思われる。


(2006年10月宮原)くろはしから宮原坑方向を望む。三池本線跡と、右端に見える道路との境の雑木林が宮原操車場の入口部分にあたる。


(2006年10月宮原)すこし角度を変えてみると、ゆるくカーブする三池本線と、分岐する宮原操車場の関係がより分りやすい。


(1995年7月宮原)PC枕木の立派な線路が万田方向へと続く。線路の右側は、資材置き場や畑になっているが、かつての宮原操車場の敷地であった。


(2003年1月宮原)廃線後は上り線跡のほうが荒れてしまった。

 くろはしから望むと、白川分岐から宮原操車場へのおよその線形を想像することは難くないが、現地では本線のレイルがあった頃も含めても、分岐跡というほどの痕跡はない。白川分岐のすぐ傍に踏切(残念ながら名称は失念してしまった)があり、その隣りの水路(白川の由来なのかは不明。所々暗渠となって諏訪川に注いでいる)を線路が渡っていて、三池本線上り線、下り線の桁台のほかに、宮原操車場への線路跡と思われる桁台が半ば崩れかけた状態で残っている。写真は10年以上前に撮ったものだが、現在では旧本線も含めて木々が育ってしまい、分り難くなってしまった。


(2006年10月宮原)最後まで残った三池本線上り線のレイルが踏切に残っている。


(2006年10月宮原)水路には本線上り線の鋼桁が架かる。古レイルの再用のようだ。


(2006年10月宮原)三池本線下り線は桁台のみ残っている。この区間の複線化は明治41年7月、単線化は昭和45年9月。


(2003年1月宮原)三池本線とは角度が異なるかたちで残る桁台(煉瓦部分)。これが逆様川線かつ、宮原操車場への線路跡であろう。


(2003年1月宮原)一旦停止の白線あたりに、かつては宮原坑への線路があったはずである。


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宮原操車場