炭鉄の風景あちこち
宮原駅
宮原操車場
2014年6月25日公開
MIYANOHARA COAL MINE

 宮原操車場の痕跡を現地で探し求めます。
 昭和6年に廃止された宮原駅は昭和13年宮原信号所として復活するが、その際には宮原貯木場や煉瓦工場の引込線が敷かれただけで、石炭積込線をふくむ宮原操車場の大部分は撤去されている。白川分岐で三池本線から分岐すると、着発線を含む5〜6線の操車場となっていたが、その跡地としては凡そ70年が経過したため、はっきりと線路跡と断定できるものは見つからなかった。操車場の中ほどで水路を跨いだ箇所も、水路が暗渠化されて線路の痕跡はないが、この一角は空地となっており、いまだに操車場跡を留めている。
 操車場をイメージする為には現地よりも空中写真の方が容易であろう。


(2010年11月宮原)PC枕木の残る三池本線跡の向こうに宮原操車場跡。右手が白川分岐。着発線を含む5、6線の線路が敷かれていたようだ。


(2013年11月宮原)道路左側の住宅の並んだ場所は宮原操車場跡。住宅手前から水路が操車場方向に折れ曲がり、そこを線路がいくつも渡っていた筈だが、水路はなくなっていた。
 なお写真左手の一角は空地になっており、操車場跡の痕跡となっている(→GooGleマップへ)

 操車場跡のそばにコンクリートの杭柵で囲まれた一角があり、敷地内は資材置場なのか雑然としている。この独特な柵は三池炭鉱特有なもので、何らかの施設跡とみられる。地図と照らし合わせた限りでは、売勘場と呼ばれた施設の跡と思われる。売勘場(大正12年に三池共愛購買組合と改称)は炭鉱組合員(家族含む)のための日用品販売所で、現在の生協に近しい組織である。
 地図によれば、道路を挟んだ宮原操車場に売勘場のための貨物ホームが設けられている。売勘場は旭町に本部があり、各坑口や社宅に売店が併設されて、三池鉄道が一般雑貨の輸送を担った。興味深いテーマだが、輸送実態については不詳なのが残念である。なお、柵内には作業場のような建物があるが、昭和49年の空中写真では更地に見えるので関係がないと思われる。


(2013年11月宮原)コンクリートの杭柵で囲まれた一角。入口にはコンクリートの門柱も残る。


 線路に売店荷卸場の記入が見える。ただしホームの位置は、かつての宮原操車場側線跡地に当たるため、宮原駅廃止→宮原信号所復活の間に、移設されたものと思われる。

 宮原操車場をさらに奥に進むと、宮原第一坑を中心とした炭鉱設備が集中している。上の絵葉書は明治末期(発行元より推測)の宮原坑の様子だが、第一坑の櫓の途中から横に広がるのは選炭場で、その一端が鉄道線への石炭積込場となっている。櫓の左右にはデビーポンプ室(排水は宮原坑の主要目的のひとつ)と巻上室が並ぶが、後者は選炭場の影になっているため見えていない。気缶場は第一坑のさらに裏側にあるため、2本の煙突だけが位置を示している。第一坑へ向かって伸びる1線は資材用だろうか、大きなパイプが線路脇に置かれている。一方、第二坑は、揚炭は副目的なため櫓周りはすっきりとしている。
 配線を見ると、石炭積込場に入る線路は5線あり、さらに隣りに積込場裏のトラバーサーに空車送込みの為の2線が通じていた。下の絵葉書のように、積込の終わった炭車は出発線へと手押しされている。4トン炭車傍の小さな建物は、初代宮原駅舎か宮原秤量所と思われるが確証はない。


(末藤書画店発行絵葉書/うしやん所蔵)4トン炭車が主力で、明治末期の頃と思われる。


(大牟田駅前山田絵葉書/うしやん所蔵)絵葉書を部分アップ。積込の終わった8トン炭車を出発線まで手押ししている。右端の2線はトラバーサーへ空車送込みのための線路。

 積込場周辺の線路跡については、かつての線路と同じ向きで2棟の倉庫が並んで建っている。写真は第一坑の坑口跡(現在でも転用されずに残っている)越しから見ているので、操車場の終端側からの構図ということになる。操車場跡に煉瓦工場が建設されたことは既出だが(宮原駅その1)、この建物が元煉瓦工場なのかは不明で、1棟は鉄骨組、1棟は鉄筋?のようだが増改築された箇所もある。建物の所有者も二三転しており、一時は大牟田市内のゴム会社が所有していたが、現在はあまり出入りは無く、何に使用されているかは不明。


(2013年11月宮原)手前の空地が第一立坑の跡。両側には住宅が建つが、ここだけぽっかりと空いている。地図上では三川鉱水そうと記入されている。


(2013年11月宮原)すこし角度を変えて。第一坑、選炭場などが混み合って建っていた場所。


(2006年10月宮原)第二立坑が住宅の間から見える。正面に第一立坑の巻上室があった。

 既出の写真と同じ角度だが、すこし以前に撮ったもの。倉庫の隣りに、古めかしい鉄筋コンクリートの平屋が見えるが、安全燈室と呼ばれた施設だったと思われる。


(2006年10月宮原)第一坑跡地の向こうに古めかしい平屋が残る。窓がサッシ化されており、再利用されているのだろうか。


 再掲になるが、電化後の宮原駅構内。各種施設を記入してみた。


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