炭鉄の風景あちこち
宮原駅
宮原汽缶場線
2017年7月30日公開
MIYANOHARA COAL MINE

 宮原操車場から延びる線路のうち、宮原坑周辺の藪が掃われたことによってその痕跡を辿ることが出来るようになった線路跡に「宮原汽缶場線」があります。
 汽缶場は炭鉱機械の動力である蒸気をつくる施設ですが、燃料として石炭を消費するので、石炭搬入のための引込線が必要となります。下図は昭和49年の空中写真を下敷きに汽缶場線を記入してみたものです。赤線は汽缶場へ石炭を運ぶための線路で、終点では汽缶場の建屋内に引込まれています。一方、橙線は同じように汽缶場を目指しますが、建屋の傍で途切れています。この線路は、おそらく汽缶場で発生した燃え殻(石炭灰)を回収するための線路のように考えられますが、面白いことに、終点部分では先の線路(赤線)と上下交差する配線となっています。



 下図は大正7(1918)年ごろの汽缶場周辺の配線図です。上が宮浦側で右手に三池本線。汽缶場建屋に引き込まれる線路(上図の赤線)および、その下を潜る線路(この線路は汽缶場の妻側に接している)。さらに引込線の上空を第一坑と第二坑を結ぶ軌道が横切るなど複雑な構造となっています。



 古絵葉書から汽缶場線が写ったものを揚げておきましょう。いずれも定番構図なので、手前に三池本線となりますが、現在でもこの構図は容易に比較することができます。




(末藤発行/うしやん所蔵)第一坑と第二坑を結ぶ軌道はまだ無いようだ。

 宮原操車場側から三池本線を左手に見ながら汽缶場線の痕跡を辿ってみましょう。汽缶場線のよきガイドとなるのは第二坑から流れ下る排水路です。石積みで作られたこの排水路も宮原坑遺跡としては重要な物件ですが、汽缶場線(赤線)はほぼこの排水路に沿って敷かれていたと思われます。


操車場から分岐して汽缶場へ向かう付近です。右手の住宅地がかつての操車場の側線群があった場所。


二つの線路が徐々に離れていく付近。排水路を越える部分はレンガ積みが残っています。




床石がありませんが橋桁が架っていたと思われます。排水路はだいぶ土砂で埋もれています。


この写真は汽缶場を背にしています。2つの線路跡に挟まれている施設は宮原配電所

 汽缶場跡が見えて来ました。第二立坑のそばをかすめます。汽缶場跡は住宅地となっていますが、その区画が、かつての汽缶場建屋をなぞっていることが航空写真だとよく分かります(グーグルマップへ)。



汽缶場建屋に入る手前、線路が上下交差していた部分に、必見の汽缶場線唯一の遺構が残っています。橋桁が架っていたと思われる橋台で、床石も残っています。もうひとつ、この隣にも少しずれた向きでレンガ積みの橋台のようなものがありますが(ただし床石はない)、これは第一坑第二坑を結んでいた軌道のものだと思います。高さが足りないので、軌道は高架桟橋で越えていたのではと考えられます(『三井三池各事業所写真帳』の宮原坑にぼんやりとですがそれらしき物件が見えます)。






汽缶場線の上下交差部分。下の線路はもっと掘り下げてあったのかも。


宮原操車場方向を見ています。左手住宅の場所には、かつて第一坑のデビーポンプ室の建屋があった。

 宮原汽缶場はどのような建物だったのでしょうか。西側からのの構図は未見ですが、東側(三池本線側)からについては古絵葉書によれば、汽缶場は横並びに接した大小2棟の木造建屋からなり、大棟屋のほうが汽缶室で、煙突の位置から長手の建屋に対して横向きに汽缶(ランカッシャー式ボイラー)が21基並んでいたと思われます。一方、線路の引込まれた小棟屋は線路下が貯炭室となっていたと思われます。なお、宮原坑閉坑後に汽缶場は半減されて、煙突1基が取り壊されています。




(末藤発行/うしやん所蔵)下は同絵葉書を拡大した。第二坑ヤグラの向こうに汽缶場の妻面が見える。

 下の写真は、万田炭鉱館にある万田坑の模型です。そこから汽缶場の建物をズームしてみました。万田坑の汽缶場は宮浦坑と比べて規模が大きく(煙突は4つ)、建物は東西2棟が直列状に配置されています。このうち、宮原坑の汽缶場は、写真手前の建物(屋根2つ山)と同じタイプと推測されます。




(2014年11月万田)万田坑石炭記念館の万田坑模型より汽缶場部分。


宮原汽缶場煙突跡。発掘調査の後、現在は埋め戻されています。
解説より「現地表面から1.0mの深さで八角形の煙突基底部の南側3辺の一部が発見され、一辺は3.3m、外側にも数段の階段状に広がる基礎部分が確認されました。煙突基礎部分は、現存部分で数えると煉瓦2段分の階段状構造物が2段、その下に垂直に煉瓦10段組の構造物があり、最下層はコンクリート基礎が構築され(地表面から180p下)、さらにコンクリートと煉瓦構造物との接点部分には大型の根固め石を配置し、煉瓦構造物がゆるまないような工夫がなされていました」



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