車輌のあれこれ 2021年4月2日公開

 田川市石炭・歴史博物館(以下、田川石炭館*1)に屋外展示されている”セ1208号”は、延べ2000両近い三池炭車の、唯一の保存車であることはもっと注目されてもいいかも知れません。解説によれば「この貨車はセ型であり*2、積載量10トンであり、三池港務の構内で石炭運搬に使用されていたものです 寄贈 三池港務所」とあります。

 解説にあるように、セ形は10トン積み炭車です。何故か、荷重を示す形式称号がないのは不思議ですが、セ1001号から始まり、250~300両程度が在籍したのではないかと推測します。総数がはっきりしないのは、竣工図表が廃車分から削除されているためで、一応、確認できた最大番号は1250号でした。

 セ形は、三池オリジナルな炭車ではなく、国鉄セ50形を譲受したものがベースとなります。まず元セ50グループは、1948(S23)年6月に譲受したもので、1947年(S22)年より行われた特別廃車による払い下げと思われます。この時には、無蓋車(→ハト形)も譲受しました。1950(S25)年には新造車を加えたほか、1952(S27)年7月に、社内のセヤ形8トン炭車を改造(炭箱嵩上げ)および自連化を施して、セ形に組み入れました。元セ50、新造、元セヤの両数比率については分かりませんが、この資料*3によれば、三井鉱山宛に譲渡されたセ50形は146両とあり、おそよ半数は元セ50形が占めていたのではないかと思われます。

 国鉄セ50形は、明治半ば~末にかけて製造された6トン積み石炭車が、大正年間中に増トン改造を重ねて9トン→10トン積みとなったもの、戦時中の買収私鉄より移籍したものなどがあり、そのルーツと、それに合わせた称号改変がかなり複雑です。1935(S10)年から老朽化により廃車が始まり、車齢的にはこのまま戦前には消滅していたはずの石炭車でしたが、時局柄、戦時輸送に酷使され、戦後の1947(S22)年、特別廃車によってようやく全廃となっています。おそらく三池に入線した時点で状態は良くなかったものと思われますが、1950年代後半(S30年代)よりセコ形の増備(←国鉄セム1)が始まるまで、セヤ、セ、セロの3車種が三池鉄道を支えました。

 なお、セ1026号が最後の1両として鉄道廃止(1997年3月)まで在籍しており、九電ダミー車と称して、港発電所内で使われました。

*1)1983(S58)年田川市石炭資料館として開館、2005(H17)年田川市石炭・歴史博物館に改称。
*2)以前はセム型となっていたが、正しく書き改められていた。
*3『鉄道史料38号』(1985-5)より。原資料は『石炭車の歴史』1980。

 田川石炭館のセ1208号は、竣工図表に”国鉄”と付書きがあることから、1948年に大量譲受した元セ50形であることが分かります。残念ながら、元番号の記載はありません。セ形としてはかなり遅い1980(S55)年12月に廃車となり、1983年に開館する田川石炭館に寄贈されました。同僚にセ1206号がいますが、これも台枠だけになった姿で港駅に置いてありましたので、セ1206と1208号は、晩年は特別な用途があったため残されていたと推測されます。

 セ1208号の現在を見る限り、おそらく国鉄時代のオリジナルな部分は少なく、三池での更新を重ねてきた姿ではないかと思われます。イラストは竣工図表の形式図を元に、現在のセ1208号として描いてみました。












 炭箱と、炭箱受けを見てみます。炭箱上部が垂直に立ち上がり、嵩を稼いでいるのが10トン車の特徴です。おそらく、三池にて更新を受けたため、溶接組みの角張ったスタイルとなっています。側面の梁は炭箱上縁から、台枠の裏を潜って底扉まで一本のアングルが結んでいます。また、炭箱受けは、セ50形原型ではU字型をしたものでしたが、アングル材を加工した凹型のものに代わっています。





 台車および底扉、ブレーキを見てみます。台車はシュー式。3枚ある底扉は、2枚が開いた状態となっています。カム式の開戸装置は、部品が欠損しているので、扉が自然に開いてしまったようです。




ブレーキ側のステップは失くしてしまったようです


ブレーキは片側片押し式のため、底扉には支障がない。




底扉は3枚。カム式と呼ばれる方式、一部の部品が失われています


弓型の梁が側枠を結んでいます




自連は国鉄時代から。三池入線時点では他の社内車は螺旋式。

写真は2020年9月撮影



炭鉄本館へ戻る