わたしが見た炭鉱電車
(1990〜2020)
A


 わたしが見た炭鉱電車その2は、1997〜2020年となります。正確な鉄道名は、1997年4月より”三井東圧化学専用鉄道”として再出発し、同年10月には社名変更によって”三井化学専用鉄道”となりました。具体的には旧旭町線(宮浦〜旭町)のみを引き継ぎ、三井化学大牟田工場の貨物のみを扱うこととなりました。128年の鉄道の歴史のうち、最後の23年間にあたります。わたしは1997年10月を最後に1998〜2001年は訪問をしていませんので、この間の動向については分からない部分があります。2002年に訪問を再開したのは、わたしがHPを始めるにあたり、情報を集めだしてからでした。以降、毎年1〜3回の訪問を重ねました。2007年からは大牟田市が所有する4両の電車が一般公開されるようになったため、公開日のある11月が定例訪問となりました。

 三池本線最後の運転は、大牟田市が譲受した電車4両(三井化学内に仮保管)と、三井化学が引き継いだ電車5両、貨車7両(ハト形、ヒト形、検形)および保線車両、部品取りとした電車3両の回送をもって、1997年中に終了した模様です。わたしが1997年10月に三池港駅を訪れた時点で、残った車輌は1両もなく、レイルの撤去が本線を遡るように始まっていました。
なつかしのHPバーナー。HPは2002年9月からスタートしましたが*、当時は『炭都の鉄道 三池鉄道の最晩年』というタイトルを付けていました。最初は1997年の三池炭鉱鉄道の終焉がテーマだったので”最晩年”と付記していました。”炭都の鉄道”というフレーズはお気に入り。
*当初はINFOSEEKのHPサービスでスタート→サービス終了→YAHOO.GEOCITY→HPサービス終了→いったんFC2に避難→LOLIPOPで再開、現在に至る

 ”<JR継>旭町→宮浦の化成品タンク列車”は、三井石炭鉱業専用鉄道時代より引き継がれた、宮浦駅に隣接した三井化学大牟田工場に出入りした化成品輸送です。大牟田駅より仮屋川操車場を経由する、定期的な濃硝酸と液化塩素の到着貨物でした。タンク車の陣容も変わらず、濃硝酸はタキ7500、タキ10450、タキ29000、タキ29100、液化塩素はタキ5450形が用いられていました。かつては様々な発駅があったものの、正確にはいつ頃からの事なのか分からなかったのですが、濃硝酸は三菱化成から(黒崎駅発)、液化塩素は旭化成工業から(南延岡駅発)の2社に絞られました。
(1997年10月仮屋川)
仮屋川操車場の終端にて機回しをおこなう9号電車。以前からあった朝一の20トン電車の仕業(返空タンク車を仮屋川操車場へ)でしたが、2002年の再訪では見られませんでした(1998年の改正で廃止か?)。
(2003年1月旭町)
タンク車+海上コンテナを牽いて仮屋川操車場へ向かう19号電車。後方の建屋は操車場のポイント操作をする旭町駅です。
(2004年2月宮浦)
宮浦駅〜大牟田工場にあった浅牟田町108号踏切にて。11号電車が濃硝酸タンク車を牽いて工場に入線します。写真では1両ですが、数両をまとめて入出場することの方が多かったです。
(1997年10月宮浦)
宮浦駅の3坑町踏切から、かつての三池港方面。日産化学のタキ7500形が意外な場所に留意されていました。遠くに小さくタキ4850形がいますが、すでに使用されることはなかったと思います(荷役線の線路はすでにありませんでした)。

 ”<JR継>旭町→宮浦の化成品コンテナ列車”は、従前のタンク車がコンテナに置き換えられたものです。タンク車の老朽化、およびJRのコンテナ化推進により、まず2009年(6月頃か?)に濃硝酸タンク車がコンテナ(三菱化学物流 UT13C形=通称”銀タンコ”)に置き換えられ、同年12月には液化塩素タンク車もコンテナ(日本陸運産業 UT13C形=通称”黄タンコ”)に置き換えられました。これ以降、使用車両はJR貨物のコキ200形(2個積み)となりました。2020年5月の鉄道廃止までコンテナ輸送が行われ、最終列車は銀タンコ5両の返却列車でした。なお、鉄道廃止の直接の理由は、三菱化学(←三菱化成)の硝酸製造の廃止によります。
(2009年11月宮浦)
宮浦駅に到着したタキ5450形+コキ200(銀タンコ)の混合編成。2009年のみ見られた過渡期の現象。
(2010年11月宮浦)
浅牟田町108号踏切にてコキ200(黄タンコ)。タキ5450形を置き換えましたが、その鮮やかな黄色にド肝を抜かれました。
(2015年8月宮浦)
銀タンコ+黄タンコ+海コンの順の編成で宮浦駅を出発、仮屋川操車場へ向かいます。
(2015年8月宮浦)
空の銀タンコを推して宮浦駅に戻る。コンテナ化されたことにより、工場入出場のパターンが様変わりし、コキ200形を1両単位で往復するようになりました。
(2020年3月宮浦)
薄暗い中、前照灯をつけて出発する18号電車とコキ200*5両。わたしは2020年4月以降は行くことが出来なくなりましたので、この2ヶ月後の最終列車の見届けは出来ずに終わりました。

 ”<JR継>宮浦→旭町の海上コンテナ車列車”は、大牟田工場で製造され、ドラム缶詰めされた化成品の国際海上コンテナによる発送貨物で、仮屋川操車場を介して大牟田駅に継走されました。なお、ドラム缶の中身は、TDIと思われるポリウレタン半製品と推測され、北九州貨物ターミナルから日明コンテナ埠頭に陸送、船舶によって主に中国へ輸出されていたようです(北九州ターミナルからの物流については確認できませんでした)。この海上コンテナ輸送は、1999年12月に試験輸送からスタートし、宮浦駅の南側には専用のコンテナホームが新設されて、大型フォークリフトが配置されています。当初はコキ106形に海上コンテナ1個積みとしていましたが、2003年頃にはコキ200形に2個積みとしています(以降も稀にコキ106が混じることも)。
 2002〜07年は国土交通省のモーダルシフト実験の対象となるなど注目をあつめた輸送となり、わたしの見たかぎりでは、最大でコキ200×5両(コンテナ10個)が組まれるなど、活発な輸送が行われた時期がありました。ただし、わたしの印象では2008年頃より次第に減少に転じたとみられ、2〜3両程度の短編成、かつ低頻度運転となっていました。輸送が低調となった事情は不明なのですが、その後、一足早く2017年初頭に廃止されたと思われます。

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(2004年2月宮浦)
コンテナホームから、11号電車がコキ200・106形を牽き出します。コンテナ線は無架線ですが、宮浦構内に入ったので、パンタグラフを上げています。
(2006年3月宮浦)
コンテナホームからコンテナ車を牽き出します。入換の都合で間にタキ5450形を挟んでいました。
宮浦石炭公園からの俯瞰です。
(2003年1月旭町)
コキ200*5両をしんがりに仮屋川操車場へむかいます。海上コンテナは上り下りとも宮浦側に連結されました。

 ”<社内>宮浦⇔旭町の錆取り列車”は、三井化学大牟田工場が5月半ば〜6月半ばにかけて定期メンテナンスに入り、列車が運休される期間に、週一程度のペースで運転された列車(コキ200牽引や、単機)です。社内での正式名称は不明ですが、趣味人の間では”錆取り運転”と呼ばれ、おそらく信号や踏切の保守作業であったと思われます。残念ながら、わたしは目撃出来ませんでした。
 

 ”<社内>宮浦の電車交代”は、45トン電車と20トン電車が、宮浦駅の南にあった車庫との間で走った交代運転です。通常、宮浦構内には45トン電車1両(宮浦〜旭町用)および20トン電車1両(工場入換用)の配置でしたが、2週間程度の間隔で電車のローテーションが行われました。なかなか出会うタイミングが計れない運転でしたが、わたしも一度だけ目撃出来ました。

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(2013年11月)
三坑町踏切にて車庫へ向かう19号と9号電車。

 ”<社内>宮浦のコンテナ積替え”は、列車というわけではありませんが、2011年に発生した”コキ200問題”と呼ばれた空コンテナ搭載禁止(原因はコキ200の台車問題)に対処するため、宮浦駅で行われたコキ104・106への空コンテナ積替え作業です。大牟田工場より”空コンテナ”を積んで戻ってきたコキ200形を、コンテナホームにて一旦コンテナを降ろし、コキ104・コキ106形へ再び積み直すという作業でした。この積替えのため、JR貨物よりトップリフターが配置されています。積替え作業は、2011年11月より始まり、2013年2月に台車改良されたコキ200の復帰により解消しました。

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(2012年11月宮浦)
空コンテナ積込用のコキ104・106形が目立つ宮浦駅です。
(2012年11月宮浦)
黄タンコ(空)の積替え作業。コキ200*1両→コキ106*2両に積替えられました。
なお、隣りに見える海上コンテナも、この期間は空積ともコキ106形になっています。
(2011年11月宮浦)
銀タンコ(空)の積替え作業。JR貨物のトップリフターの出番です。一旦、コキ200形からすべての銀タンコを降ろします。
(2011年11月宮浦)
続いて空のコキ104*4両を牽引して入線し、銀タンコを積み直しました。コキ104形は銀タンコ*3個積込むことができます(コキ104*4両となっていたのは、コキ200*6両となった時の対応分だと思います)。


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